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【韓国メディア】浮世絵師の写楽は韓国人 金弘道(キム・ホンド)が芸名で10ヶ月間日本で活動し帰国した
投稿日 2022年12月9日 22:03:48 (ネタ・ニュース)
槐山延豊県監 金弘道(キム・ホンド)の朝鮮ルネサンス
前略) キム・ホンドは秘密裏に1789年、日本の地図を描いてくるよう命を受け、師匠のキム・ウンファンと共に、日本密使として向かうことになる。ところが、師匠のキム・ウンファンは病気で亡くなって、一人でテマド(※対馬島)に行って地図を描いてきた。一種の日本に対する偵察が主要目的だったようだ。キム・ホンドが日本に行くことになったのは事実に符合するが、優れていた彼の事件を通じて新たな仮説が出ている。中略) 日本の代表的絵画と称する絵が「浮世絵」だ。日本料理店に行くとよく見かける侍の姿や、富士山の様子を版画で表現した絵画が浮世絵だ。このような浮世絵の最高峰に挙げられる人が「東洲斎写楽」だ。彼は突然現れると、10ヵ月間で140点ほどを描き、こつ然と姿を消した。そのため、彼は芸名を使って絵を描いて消えた、あるいは他国の人が来て絵を描いて消えた、という話で実体のある伝説になっている。彼の活動期間は1794年5月から1795年2月までだ。
キム・ホンドは足の指が6本だったという説があるが、写楽も足の指が6本だという説、日本に行った期間と完全に合致はしないが近い時期に日本にいたことから、一部の仮説には、キム・ホンドが芸名で10ヵ月間日本で活動して帰国したという説もある。キム・ホンドの晩年に記録がないということも、日本に行き活動し、そうしていたのだろうという推測と想像から、事件を事実のように重ねてくれる。
忠北日報(韓国語)
https://www.inews365.com/news/article.html?no=743233東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく、とうじゅうさい -[3][4]、生没年不詳)は、江戸時代中期の浮世絵師。
約10か月の短い期間に役者絵その他の作品を版行したのち、忽然と姿を消した謎の絵師として知られる。その出自や経歴については様々な研究がなされてきたが、現在では阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべえ、宝暦13年(1763年) – 文政3年(1820年))とする説が有力となっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B4%B2%E6%96%8E%E5%86%99%E6%A5%BD
まあ本音は嫉妬やしな
【ひゃー】大きなネコ科達が戯れる様子、たまらんwwwwwwwwwwwww
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引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1670588839/
Source: 保守速報
Source: 総合アテナ速報
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